訪問の現場に携わっていると、リハビリテーションという言葉にはどうも違和感がある。

「リハビリテーション:再び適した状態になること」、一体、再び適した状態になるとは?
どういうことだろう。

「再び適した状態になる」と定義してしまう事は、非常にケースもある。
例えば、小児で元々、肢体不自由で生まれつき機能障害を持つ児童や加齢により失われた機能のある方

発達段階で獲得していない機能や加齢により失われた機能に対して「再び適した状態になる」と定義してしまう事は、
非常に危険であるし、機能獲得のための安易なリハビリテーションを生み出してしまうのではないだろうか?

また、「再び適した状態になる」と言ってしまたら、現在のその方の生活が適していないことになるし、
生活を否定する事になるのではなかろうか。

訪問ではハビリテートの精神が必要である。
どうしたら、よりその人らしい生活を社会の中で送ることができるか?

まずは、治療家の思考ではなく、良き伴奏者であり、コーディネーターとなる必要がある。
現在の生活を認め、受け入れた上で、更により良い活動や社会生活を送るにはどのようなサポートが必要か
現在の生活そのものを肯定して、更に適した状態になるための伴奏者である必要があると思う。